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『論語と算盤』渋沢栄一
著者紹介:渋沢栄一(1840年~1931年)
官僚・実業家・慈善家。
「道徳経済合一主義」を実践。
生涯に500の企業育成に係わり、
同時に約600の社会公共事業や
民間外交に成功。
渋沢栄一は、江戸時代の末期に生まれ、明治時代に
近代国家を建設する上で大きな働きをした人である。
渋沢栄一は、現在、「日本資本主義の父」と呼ばれている。
生涯に500もの会社を設立し、資本主義の発達に尽力して
日本の経済の礎を築いた。
「経済」とは、「経世済民」を略した言葉で、
「世の中をよく治めて民衆を苦しみから救う」という
意味を持つ。
つまり、経済は私たちを幸せにするためにあり、その実践を
主導したのが渋沢栄一であった。
渋沢の持つこうした経済感覚は、現代に生きる私たちに
とって不可欠なものである。この経済感覚を支えていたのが
中国の古典『論語』である。
渋沢は幼少期よりずっと『論語』を学び続け、
「算盤は(経済)は論語によって支えられるものである」
という独自の解釈を得て、やがては「論語で商売を
やってみせる」という思いに至り、実行したのである。
では、論語(道徳)と算盤(商売)を渋沢はどのように
解釈し、実践したのであろうか。これより、この点に
ついて見ていく。
これから紹介する鍵かっこの内容は、論語の内容を渋沢が
自分に合わせて読み変えたものである。その下に
解説を添えている。
1.「生きる上で、道を外さないためには『論語』を熟読
しなさい。」
熟読して、「この世に処していくための具体的なルール、
信条をそこに求めよ。」と。
渋沢は『論語』を熟読し、精神の柱として日々実践して
いくことこそが大事だと考えた。
(参考)論語はおのれを修め、人として生きる日常の教えが
説かれている。
渋沢は、論語で商売はできないだろうかと考えた。
論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると
考えたのである。
論語⇔商売のように相反するものを論語×商売のように
掛け合わせ2つを両立させた。
2.「金銭を取り扱うがなぜ賤しいか。君のように金銭を
卑しむようでは国家は立たぬ。官が高いとか、人爵が
高いとかいうことは、尊いものではない。人間の務む
べき尊い仕事は到る所にある。」
経済こそが国を成り立たせるもので、民間の経済の活性化が
大事であることにいち早く気付いたのである。
国家のバランスを、民<官ではなく民(経済力)=官と
とらえた。
競争を避けるようでは経済の発展はないと考えたのである。
3.「私一己の意見としては、争いは決して絶対に排斥すべき
ものではなく、処世の上にも甚だ必要なものであろうかと
信じるものである。」
「争い」とは競争のことで、競争は必ずしも悪いもの
ではなく、むしろ処世の上で必要ではないか。
ある程度競争があった方が、健全であると考えた。
4.「蟹は甲羅に似せて穴を掘るという主義で、私は渋沢の
分を守ると言うことを心掛けておる。」
蟹は甲羅の形に合わせて穴を掘る。大きい蟹の穴は大きく、
小さい蟹の穴は小さい。人には能力のスケールや得意、
不得意がある。だから、蟹のように自分のスタイルで
やるしかない。仕事が身の丈に合っていなければ、
相当なストレスそして、自信喪失につながる。
まず、自分自身を知り、自分の力を過信して出来ない
望みを追い求めるようなことはしない。
それが、間違いを引き落とすことにつながるから。
一人ひとりが自分の持っている力を知り、背伸びせず
「分」を守ってやっていけば良い。
5.「私は常に精神の向上を、富と共に進めることが必要で
あると信じておる。」
富と共に精神を向上させていくことが大事である。
さまざまな困難に出会う中で、自分自身の人格を練って
いかなくてはいけないということ。(=精神の向上)
経済界の人間でありながら、その活動は国家を支えることを
大前提としていた。自分一人が良くなれば良いなどと
思ってはいけない。渋沢の言う「精神の向上」は、
「公共心」と置き換えられる。公共のために正しく
活動しているのか、この点が何よりも重要である。
6.「与えられた仕事にその時の全生命をかけて真面目に
やり得る者は功名利達の運を開くことが出来る。」
与えられた仕事に全生命をかけてやれば、その姿勢が
評価され、次の仕事のステップも開かれるようになる。
7.「大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことが
あってはならぬ。この両者は常に調和し一致するを
要するものである。」
人生という建築があるとすれば、大きな立志は建物であり、
小さな立志がその基礎にある。
こうした骨組みが重要である。
志を立てるときには、大きなものと小さいものの図を
描いて見ると良い。今やるべき優先順位も見えてくる。
いきなり大きな志を目指すのは難しく、大きな犠牲を
払うことになる。
8.「意思の強固なるが上に聡明なる知恵を加味し、
これを調節するに情愛を持ってし、この三者を
適度に調合したものを大きく発達せしめたのが、
始めて完全なる常識となる。」
まず、意思を堅固にし、その上で聡明なる知恵を持ち、
それに情愛をプラスする。言葉を換えて言えば
「知・情・意」である。
「知」は知性や判断力、「情」は思いやりそして
「意」はやり遂げるのだという意志。
これら知・情・意がバランスよく発達している人が
常識のある人間となる。
(参考)「知・情・意」3つのバランスをチェックしてみる。
「知」と言いながら、手のひらをおでこに(前頭葉)に当て、
判断は間違っていないかチェック。
「情」と言いながら、胸に手を当てて自分は他の人に対する
思いやりを忘れていないかチェック。
「意」は、おへその下の臍下丹田という場所に手を当てて
チェック。自分はちゃんと強い意志を持っているか、
勇気や行動があるか確認。
9.「悪人を悪人として憎まず、できるものならその人を善に
導いてやりたいと考え…」
通常なら栄一のような大きな仕事をしている人は、
頼まれたからといっていちいち人に会うことはない。
ところが、渋沢は頼まれれば断わらずに面会した。
(=自ら「門戸開放主義」と言っている。)
「悪人」を読み換えて「能力の弱い人」と捉えてみる。
この人は駄目だと決めつけるのではなく、可能性がある
はずだと考えて、アドバイスや手助けをしていくうちに、
徐々に生まれ変わり成長していく。
10.「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続
するものではないと私は考える。」
事業について、栄一は「仁義道徳に基づかないと上手く
いかない」として、利益を上げ続けるには仁義道徳が
大事だと説いた。
栄一は、自分だけ良ければいい、国のことなど構わないと
いう考えを戒める。自分さえ儲かれば、国家に貢献
しなくてもいいという考えがまかり通れば、大きな
利益を上げた会社が巧みに税金逃れをするようになる。
国家が富んでいるから自分も富むことが出来るのだ
という考えを常に根本に持たなければならない。
11.「その結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、
そは自然の成行であって、人間社会に免るべからざる
約束を見て諦めるよりほか仕方がない。とはいえ、常に
その間の関係を円滑ならしめ、両者の調和をはかることに
意を持ちうることは、識者の一日も欠くべからざる覚悟で
ある。」
貧富の差が激しい場合、お金持ちと貧しい人の関係を
調整していく必要がある。その格差を減らすようにしていく
ことが、もの(道理)が分かっている人の覚悟だ。
12.「成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、先ず誠実に
努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に
福(さいわい)し、運命を開拓するように仕向けて
くれるのである。
(中略)いやしくも事の成敗以外に超然とし
て立ち、道理に則って一身に終始するならば、成功失敗の
ごときは愚か、それ以上に価値ある生涯を送ることが
出来るのである。」
栄一は、私たちに「成功や失敗を超えていけ」という
メッセージを残している。道理に従って生きていくこと
こそが大切なことだと。
道理に則って一身を終始するならば、成功失敗のごとき
愚か、それ以上に価値ある生涯を送ることが出来る
のである。
以上、孔子の『論語』を渋沢栄一が独自に読み変えた
ものです。主に、代表的なものを取り上げました。