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『陽明学』

    著者紹介:王陽明(1472年~1529年)

         中国明代の儒学者・思想家・高級官僚。

         陽明学は儒学の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。

         朱子学が理論や知識を重視したのに対し、陽明学は、人間に備わっている心のあり方と

         実践を重んじた。

 

陽明学を理解するには、まず儒教について触れておく必要がある。

儒教とは端的に言えば、「どう生きるか」という生き方を追求した学問である。

儒教とは修己治人の学問ともいう。修己とは自分を修めること。何を修めるかといえば徳性を養うことである。

その養った徳をもって人々を感化し世を安らかに修めること。これが修己治人である。

 

さらに、儒教とは天地の生成化育を体認し、これを人間と人間社会に

実現するための学問と言える。天地の生成化育とは、万物を生み育てる営みのことで、宇宙自然の創造変化、あるいは創造進化のことを言う。

この万物を生み育てるはたらきが人間を通じて現れたとき、それを「徳」と言う。

生を助け、生をどこまでも伸展させ、活力あらしめ、あるいはその方向を促すはたらきのことを「生成化育」または「徳」と言う。

儒教の教えがこれに価する。(=宇宙自然の創造の原理を根本原理とする。)

宇宙自然の運行が不滅で永遠であるように、人間と人間社会が永遠であるためには、この法則を自覚し、

これを解明し、この法則に沿って生きることが、もっとも「道」にかなった生き方であり、

この道が人間を通じて現れた時、「徳」と言う。

生きる力を応援したり、支えたり、活力あらしめたりする言葉や行為・行動は、みな「徳」である。

 

しかしながら、この儒教の教えは、孔子没後、経典の字句を解釈するの学になったり、

暗記して読むばかりの記誦の学になったりなど、儒教そのものが形骸化し、実際の生活、

人生に生きてこなくなった。これでは孔子の精神である実践から遠のくばかりである。

そこに、儒教を生きた学問としてよみがえらせたのが王陽明である。これを陽明学と言う。

 

陽明学は、「心の学問・心学」であり「行動の学問」「実践の学問」でもある。これは、中身が違うわけではない。

内省が必要と思える人には心学と言い、行動を促したいと思うような人には実践の学問という。

行動派の人であればあるほど、常に深い内省がともなってこそ健全であり大事を成就できる。

内に沈む人には実践行動を促し、実践を通じてこれまでと違った天地を見出して欲しい。

 

東洋学の大家・安岡正篤は王陽明について、次のように述べている。

王陽明こそ、「一世の良心、気概というものに火をつけて、民族の良心・国民の期待する

理想像・理想精神・理想的言論、行動を行った代表的な人物。」である。

これを簡潔に言うと、陽明学とは、「良心に生きる」「心身を修める」「その絶対的根拠に立って経世する。」

ということになる。

 

陽明学の根幹となる上述の三項目を理解する上での重要な言葉を挙げていく。

「致良知」「知行合一」「事上磨練」「心即理」

 

致良知について

 

良知は深層意識のこととされている。仏教で言えば阿頼耶識にあたる。

(補説)阿頼耶識とは、人類が生まれた時からずっと記憶としてDNAの

中に含まれて残ってきている人類そのものの連綿とした意識の層の塊。

「良知」は本人が意識しようがしまいが、この意識の中に非常な大きなエネルギーを秘めて存在している。

これが、顕在意識を通じて噴出してくる。ところが、噴出する出口には良い出口と悪い出口がある。

自分の心の中の邪な欲望が強烈に噴出したいと思った時は、この大きなエネルギーは「致悪知」となる。

逆に、世の中の役に立つことに自分の最大限の能力を傾注すると、自分の心の中の奥深いところにあるマグマは自分では気が付かないまま、どんどん湧きあがってくる。良知が外に向かって噴出する。(=「知良致」)

良き思いを口にしたり文字に書いて貼ったりして自分の潜在意識に沁み込ませ、そして行動に移す「致す」(=実行する)ことで、致良知となる。

(補説)われわれは、意識の奥深いところにあるマグマで満たしていくことが大前提となる。

良知(良心)は厳しい修養と鍛錬を経て得られるものである。

 

知行合一について

 

知行合一は、知識プラス行動がなければ本当の知識つまり、知恵にならない。知っているということは、実際に研究し自分で何らかの行動を起こして、自分の中に沁み込ませ、そして対策を練って実行することである。

自分で体験しない限り知恵は生まれない。実践の積み重ねが大切。

※知行合一の本意は、「まず、わが心身から正すこと。わが身を修めること。」自己の良知を育てる基盤をつくることにある。

 

 

事上磨練について

 

事上磨練とは、われわれが日常生活・社会生活を営んでいく中で、自分を常に磨き上げること。

事上磨練は、「中」の思想を日々学び、かつ実践し、体験を積み重ねそして自分を磨きあげることが大切である。

(補説)「中」とは、様々な矛盾や対立するものを一つに統一して、一段階上のレベルに引き上げること。

   ヘーゲル哲学の弁証法と同じ考えである。

※体験から得た知恵(良知)⇒得た良知を実行(致良知)

⇒頭と体が覚えるよう実行を重ねる⇒さらに知恵(良知)が深まる。

 

 心即理について

 

人は普段、何かに依って生きている。人によって様々で、ある人は「財産、地位や肩書」、

ある人は「妻や夫や子ども、またある人は親兄弟や友人。」

人はこうした何かに依っているが、これらを一切はぎ取ってそのあとに残るもの。

その残ったものに自ら依って立つ、安心立命するものがあるかどうか。

絶対的根拠とは、そうした最後の最後に残った「自ら依って立てる心」である。

「自ら依って立てる心」とは、「真の自己の確立」と言い換えることができる。

これまでの内容をまとめると、

自身の良知—→「知行合一」「事上磨練」———→「心即理」

       良知を育て、より磨きをかける。   良知=徳

       良知を得るための修行。      自ら依って立つ心。

                       「真の自己の確立」